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 打ち上げは私も何度も見ている。白い煙を引いてどこまでも昇ってゆくロケットは、島のどこにいてもはっきりと見える。そういえばここ何年かは打ち上げを見ていない気がする。この島に来てまだ五年の遠野くんは、打ち上げを見たことがあるのだろうか。いつか一緒に見れたらいいな。初めてだとしたらちょっと感動する眺めだと思うし、ふたりだけでそんな体験ができたら、私たちの距離もちょっとは縮まるような気がする。ああ、でも高校生活はあと半年しかないのだし、その間に打ち上げはあるのだろうか。そうだ。そもそも私はそれまでに本当に波に乗れるようになるのだろうか。いつか私のサーフィンを遠野くんに見て欲しいけれど、カッコ悪い姿は絶対に見られたくないし、彼にはいつでも私のいちばん良いところだけを見ていて欲しいと思う。──あと半年。いやいや、でもひょっとして遠野くんが卒業後も島に残るという可能性だってゼロじゃない。だとしたらチャンスはまだいくらでもあるんだわ、そしたら私の進路も島内就職で決まりだ。とはいえ彼のそういう姿は想像できないんだよなー、なんとなく島が似合わないもん、あの人。うーん。

 ……こんなふうに、私の悩みは遠野くんを中心にいつもぐるぐると巡ってしまう。いつまでも悩み続けているわけにはいかないんだということだけは分かっているのに。

 だから私は、波に乗れたら遠野くんに告白すると、決めているのだ。

*  *  *

 午後七時十分。さっきまで大気中を満たしていたクマゼミの声が、いつのまにかヒグラシの声に変わっている。もうすこししたら今度はキリギリスの声に変わるだろう。あたりはもう薄暗いけれど、空にはまだ夕日の光が残っていて高い雲が金色に輝いている。じっと空を見上げていると、雲が西に流れているのが分かる。さっきまで海にいた時には風は逆向きでオンショア──沖から吹く風で波の形は良くない──だったのに、今ならもっと乗りやすい波になっているかもしれない。どちらにせよ立てる自信はないのだけれど。

 校舎の陰から単車置き場の方を覗く。バイクはもう残りすくなく、校門付近には生徒の姿もない。もうどの部活も終わっている時間なのだ。私はつまり、放課後サーフィンをしてきた後にふたたび学校に戻ってきて、遠野くんが単車置き場に現れるのを校舎陰に隠れて待っているのだけれど(というふうにあらためて考えると我ながらちょっとコワイ)、もしかしたら今日はもう帰ってしまったのかもしれない。もうちょっと早く海から上がれば良かったかなあと思いつつ、あとすこしだけ待ってみようと思いなおす。

 サーフィン問題、遠野くん問題、進路問題、これが目下の私の三大課題なわけだけれど、もちろん問題はこの三つだけではない。たとえば日に焼けた肌。私は決して地黒なわけではないのだけれど(たぶん)、どれだけ日焼け止めを塗り込んでも、私は同級生の誰よりもダントツにこんがりと日焼けしている。お姉ちゃんはサーフィンをやっているのだからあたりまえだと言うし、ユッコやサキちゃんも健康的で可愛いんじゃないのとか言ってくれるけれど、好きな男の子よりも色が黒いというのは何かが致命的な気がする。遠野くんの肌、色白できれいだし。

 それからいまいち成長してくれない胸とか(お姉ちゃんの胸はなぜかでかい。同じDNAなのになんでだ)、壊滅的な数学の成績とか、私服のセンスのなさとか、あまりにも健康すぎてぜんぜん風邪をひけないとか(可愛げが足りない気がする)、その他いろいろ。問題山積みなのだ、我ながら。

 悲劇的要素をカウントしていてもどうしようもないのだわと思い、もう一度ちらりと単車置き場を覗く。遠くから見間違えようのないシルエットが歩いてくるのが見える。やった! 待ってて正解だった、私ってばサスガの判断。素早く深呼吸して、さりげなく単車置き場に向かう。

「あれ、澄田。今帰り?」やっぱり優しい声。単車置き場の電灯に照らされて、だんだん彼の姿が見えてくる。すらりとした細身の体、すこし目にかかる長めの髪、いつもの落ち着いた足取り。

「うん……。遠野くんも?」声がちょっと震えているような気がする。あーもう、いいかげん慣れて欲しい私。

「ああ。じゃあさ、一緒に帰らない?」

 ──もし自分に犬みたいな尻尾があったら、きっとぶんぶんと振ってしまっていたと思う。ああ、私は犬じゃなくて良かった、尻尾があったら全部の気持ちが彼に筒抜けだったと真剣に思って、そんなことしか考えられない自分に呆れて、それでも、遠野くんとの帰り道はひたすらに幸せなのだ。

 私たちはサトウキビ畑に挟まれた細い道を一列に並んで単車で走っている。前を走っている遠野くんの後ろ姿を見ながら、私はしみじみとその幸せを噛みしめる。胸の奥が熱くて、サーフィンに失敗した時のように鼻の奥がすこしツンとする。幸せと悲しみは似ていると、理由も分からずに思う。

 最初から、遠野くんは他の男の子たちとは、どこかすこし違っていた。中学二年の春に彼は東京からこの種子島に転校してきた。中二の始業式の日の彼の姿を、今でもはっきりと覚えている。黒板の前にまっすぐに立った見知らぬ男の子はぜんぜん気後れも緊張もしていないように見えて、端正な顔に穏やかな微笑を浮かべていた。

「遠野貴樹です。親の仕事の都合で三日前に東京から引っ越してきました。転校には慣れていますが、この島にはまだ慣れていません。よろしくお願いします」

 喋る声は早くもなく遅くもなく淀みもなく落ち着いていて、しびれてしまうくらいきれいな標準語のアクセントだった。テレビの人みたいだった。私がもし彼の立場だったら──超大都会から超田舎(かつ孤島)に転校してきたら、あるいはその逆だったならば──きっと顔は真っ赤でアタマはまっ白、皆とは違うアクセントが気になってしどろもどろになっていたに違いない。それなのに同い年であるはずのこの人はどうしてこんなふうに、まるで目の前に誰もいないかのように緊張もせず、くっきりと喋ることができるのだろう。今までどんな生活をしてきて、黒い学生服に包まれたこの人の中にはいったい何があるのだろう──。これほど強く何かを知りたいと求めたことは人生で初めてで、私はもうその瞬間に、宿命的に恋に落ちていた。

 それから私の人生は変わった。町も学校も現実も、彼の向こう側に見えた。授業中も放課後も海で犬の散歩をしている時でさえも、視界の隅っこでいつも彼を捜していた。一見クールで気取っているようにも見えた彼は実は気さくですぐにたくさんの友人を作り、しかも同性ばかりでかたまるようなガキっぽさは微塵もなく、だから私もタイミングさえ合えば何度でも彼と話すことができた。