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 結局、僕の乗った両毛線は、目的地への中間あたりで完全に停車してしまった。「降雪によるダイヤの乱れのため停車いたします」と車内アナウンスが告げていた。「お急ぎのところたいへん恐縮ですが、現在のところ復旧の目処は立っておりません」と。窓の外はどこまでもひろがる暗い雪の広野だった。吹きつける吹雪の音が窓枠をかたかたと揺らし続けていた。なぜこのような何もない場所で停車しなければならないのか、僕にはわけが分からなかった。腕時計を見ると、待ち合わせの時間からはすでにたっぷり二時間が過ぎていた。今日一日で、僕は何百回この時計を見ただろう。刻み続ける時間をこれ以上見るのが嫌で、僕は時計を外して窓際に据え付けられた小さなテーブルに置いた。僕にはもうどうしようもなかった。とにかく電車が早く動き始めてくれることを祈るしかなかった。

 ──貴樹くんお元気ですか、と、明里は手紙に書いていた。「部活で朝が早いので、この手紙は電車で書いています」と。

 手紙から想像する明里は、なぜかいつもひとりだった。そして結局は僕も同じようにひとりだったのだ、と僕は思う。学校には何人もの友人がいたけれど、今このように、フードで顔を隠し誰もいない車輌の座席にひとりで座り込んでいる僕が、本当の僕の姿だったのだ。電車の中は暖房が効いていたはずだけれど、乗客がまばらのたった四両編成のこの車輌の中は、とてつもなく寒々しい空間だった。どう表現すればいいのだろう──、こんなにも酷い時間を、僕はそれまで経験したことがなかった。広いボックス席に座ったまま、僕は体をきつく丸めて歯を食いしばり、ただとにかく泣かないように、悪意の固まりのような時間に必死に耐えているしかなかった。明里がひとりだけで寒い駅の構内で僕を待ち続けていると思うと、彼女の心細さを想像すると、僕は気が狂いそうだった。明里がもう待っていなければいいのに、家に帰っていてくれればいいのにと、僕は強くつよく願った。

 でも明里はきっと待っているだろう。

 僕にはそれが分かったし、その確信が僕をどうしようもなく悲しく、苦しくさせた。窓の外は、いつまでもいつまでも雪が降り続けていた。

 電車がふたたび動き始めたのは二時間以上が経過した頃で、僕が岩舟駅に着いたのは約束よりも四時間以上経った夜の十一時過ぎだった。当時の僕にとってそれは完全に深夜の時間だ。電車のドアからホームに降りた時に靴が新雪に深く埋まり、ぎゅっという柔らかな雪の音がした。もうすっかり風は止んでいて、空からは無数の雪の粒がゆっくりと、垂直に音もなく落ち続けていた。降車したホームの脇には壁も柵もなく、ホームのすぐ横から見渡すかぎりの雪原が広がっている。街の灯りは遠くすくない。あたりはしんとしていて、停車した電車のエンジン音しか聞こえなかった。

 小さな陸橋を渡って、改札までゆっくりと歩いた。陸橋からは駅前の町が見えた。家の灯りは数えられるくらいしか灯っておらず、町はただ黙々と雪に降りこめられつつあった。改札で駅員に切符を渡し、木造の駅舎の中に入った。改札のすぐ奥が待合室になっていて、足を踏み入れたとたんに暖かな空気と石油ストーブの懐かしい匂いが身体を包んだ。目の前の光景に胸の奥から熱い固まりが込みあげてきて、なんとかそれをやり過ごすためにきつく目をつむった。──ふたたびゆっくりと目を開く。ひとりの少女が石油ストーブの前の椅子にうつむいたまま座っていた。

 白いコートに包まれたほっそりとしたその少女は、はじめ知らない人のように見えた。ゆっくりと近づき、あかり、と声をかけた。僕の声は知らない誰かのもののようにかすれていた。彼女はすこし驚いたようにゆっくりと顔を上げ、こちらを見た。明里だった。大きな両目には涙がたまり、目尻は赤くなっている。一年前よりも大人っぽくなった明里の顔は、ストーブの黄色い光を滑らかに映し、僕が今まで見たどんな女の子よりも美しく見えた。心臓を指で直接そっと触れられたような、言葉にできない疼きが走った。それは僕が初めて知る感覚だった。目をそらせなかった。明里の目にたまった涙の粒がみるみる大きくなっていくのを、僕は何かとても貴い現象を見るように眺めていた。明里の手が僕のコートの裾をぎゅっとつかみ、僕は明里の方に一歩ぶん引き寄せられた。僕の裾をにぎりしめた明里の白い手に涙の粒が落ちるのを見た瞬間、こらえられない感情の固まりがふたたび湧きあがってきて、気づいたら泣いていた。石油ストーブの上に置かれたたらいのお湯がくつくつと沸く優しげな音が、狭い駅舎に小さく響いていた。

*  *  *

 明里は保温ポットに入ったお茶と手作りのお弁当を持ってきてくれていた。僕たちはストーブの前の椅子に並んで座り、真ん中にお弁当の包みを置いた。僕は明里からもらったお茶を飲んだ。お茶はまだ十分に熱く、とても香ばしい味がした。

「おいしい」と、僕は心の底から言った。

「そう? 普通のほうじ茶だよ」

「ほうじ茶? 初めて飲んだ」

「うそ! ぜったい飲んだことあるよ!」と明里に言われたけれど、僕はこんなにおいしいお茶は本当に初めてだと思ったのだ。「そうかなぁ……」と答えると、

「そうだよ」とおかしそうに明里が言う。

 明里の声は彼女の体と同じように、僕が覚えていたよりも大人っぽくなっているように思えた。口調には優しくからかうような響きとすこし照れたような響きが混じっていて、明里の声を聞いているうちに僕の体温は次第にぽかぽかとぬくもりを取り戻していった。

「それから、これ」と言って、明里はお弁当の包みを開いて二つのタッパーウェアの蓋を開けた。一つには大きなおにぎりが四つ入っていて、もう一つには色とりどりのおかずが入っていた。小さなハンバーグ、ウィンナー、卵焼き、プチトマト、ブロッコリー。それらが全部二つずつ、綺麗に並べられている。

「私が作ったから味の保証はないんだけど……」と言いながらごそごそとお弁当包みを畳んで脇に置き、「……良かったら、食べて」と、照れたように明里が言う。

「……ありがとう」と僕はやっとのことで声に出した。胸にふたたび熱いものが込みあげてきて、すぐに泣きそうになってしまう自分が恥ずかしくて、必死にこらえた。空腹だったことを思い出して、慌てて「お腹すいてたんだ、すごく!」と言った。明里は嬉しそうに笑ってくれた。