途中で少し険しいが、二十町ばかり近い山越えの間道を行くか、楽な本街道を行くかと言われた時に、私はもちろん近路を選んだ。
落葉で辷りそうな胸先上がりの木下路だった。息が苦しいものだから、かえってやけ半分に私は膝頭を掌で突き伸ばすようにして足を早めた。見る見るうちに一行は遅れてしまって、話し声だけが木の中から聞こえるようになった。踊子が一人裾を高く掲げて、とっとっと私について来るのだった。一間ほどうしろを歩いて、その間隔を縮めようとも伸そうともしなかった。私が振り返って話しかけると、驚いたように微笑みながら立ち止まって返事をする。踊子が話しかけた時に、追いつかせるつもりで待っていると、彼女はやはり足を停めてしまって、私が歩き出すまで歩かない。路が折れ曲っていっそう険しくなるあたりからますます足を急がせると、踊子は相変わらず一間うしろを一心に登って来る。山は静かだった。ほかの者たちはずっと遅れて話し声も聞こえなくなっていた。
「東京のどこに家があります」
「いいや、学校の寄宿舎にいるんです」
「私も東京は知ってます、お花見時分に踊りに行って。小さい時でなんにも覚えていません」
それからまた踊子は、
「お父さんありますか」とか、
「甲府へ行ったことありますか」とか、ぽつりぽつりいろんなことを聞いた。下田へ着けば活動を見ることや、死んだ赤ん坊のことなぞを話した。
山の頂上へ出た。踊子は枯草の中の腰掛けに太鼓をおろすとハンカチで汗を拭いた。そして自分の足の埃を払おうとしたが、ふと私の足もとにしゃがんで袴の裾を払ってくれた。私が急に身を引いたものだから、踊子はこつんと膝を落した。屈んだまま私の身の周りをはたいて回ってから、掲げていた裾をおろして、大きい息をして立っている私に、
「お掛けなさいまし」と言った。
腰掛けのすぐ横へ小鳥の群れが渡って来た。鳥がとまる枝の枯葉がかさかさ鳴るほど静かだった。
「どうしてあんなに早くお歩きになりますの」
踊子は暑そうだった。私が指でべんべんと太鼓を叩くと小鳥が飛び立った。
「ああ水が飲みたい」
「見て来ましょうね」
しかし踊子はまもなく黄ばんだ雑木の間から空しく帰って来た。
「大島にいる時は何をしているんです」
すると踊子はとうとつに女の名前を二つ三つあげて、私に見当のつかない話を始めた。大島ではなくて甲府の話らしかった。尋常二年まで通った小学校の友達のことらしかった。それを思い出すままに話すのだった。
十分ほど待つと若い三人が頂上に辿りついた。おふくろはそれからまた十分遅れて着いた。
下りは私と栄吉とがわざと遅れてゆっくり話しながら出発した。二町ばかり歩くと、下から踊子が走って来た。
「この下に泉があるんです。大急ぎでいらしてくださいって、飲まずに待っているから」
水と聞いて私は走った。木蔭の岩の間から清水が湧いていた。泉のぐるりに女たちが立っていた。
「さあお先きにお飲みなさいまし。手を入れると濁るし、女の後は汚いだろうと思って」とおふくろが言った。
私は冷たい水を手に掬って飲んだ。女たちは容易にそこを離れなかった。手拭をしぼって汗を落したりした。
その山をおりて下田街道に出ると、炭焼きの煙が幾つも見えた。路傍の材木に腰をおろして休んだ。踊子は道にしゃがみながら、桃色の櫛で犬のむく毛を梳いてやっていた。
「歯が折れるじゃないか」とおふくろがたしなめた。
「いいの。下田で新しいの買うもの」
湯が野にいる時から私は、この前髪に挿した櫛を貰って行くつもりだったので、犬の毛を梳くのはいけないと思った。
道の向こう側にたくさんある篠竹の束を見て、杖にちょうどいいなぞと話しながら、私と栄吉とは一足先きに立った。踊子が走って追っかけて来た。自分の背より長い太い竹を持っていた。
「どうするんだ」と栄吉が聞くと、ちょっとまごつきながら私に竹を突きつけた。
「杖にあげます。いちばん太いのを抜いて来た」
「駄目だよ。太いのは盗んだとすぐにわかって、見られると悪いじゃないか。返して来い」
踊子は竹束のところまで引き返すと、また走って来た。今度は中指くらいの太さの竹を私にくれた。そして、田の畦を背中に打ちつけるように倒れかかって、苦しそうな息をしながら女たちを待っていた。
私と栄吉とは絶えず五、六間先を歩いていた。
「それは、抜いて金歯を入れさえすればなんでもないわ」と踊子の声がふと私の耳にはいったので振り返ってみると、踊子は千代子と並んで歩き、おふくろと百合子とがそれに少し遅れていた。私の振り返ったのを気づかないらしく千代子が言った。
「それはそう。そう知らしてあげたらどう」
私の噂らしい。千代子が私の歯並びの悪いことを言ったので、踊子が金歯を持ち出したのだろう。顔の話らしいが、それが苦にもならないし、聞き耳を立てる気にもならないほどに、私は親しい気持になっているのだった。しばらく低い声が続いてから踊子の言うのが聞こえた。
「いい人ね」
「それはそう、いい人らしい」
「ほんとにいい人ね。いい人はいいね」
この物言いは単純で明けっ放しな響きを持っていた。感情の傾きをぽいと幼く投げ出して見せた声だった。私自身にも自分をいい人だと素直に感じることができた。晴れ晴れと眼を上げて明るい山々を眺めた。瞼の裏が微かに痛んだ。二十歳の私は自分の性質が孤児根性で歪んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱に堪え切れないで伊豆の旅に出て来ているのだった。だから、世間尋常の意味で自分がいい人に見えることは、言いようなくありがたいのだった。山々の明るいのは下田の海が近づいたからだった。私はさっきの竹の杖を振り回しながら秋草の頭を切った。
途中、ところどころの村の入口に立札があった。
――物乞い旅芸人村に入るべからず。
六
甲州屋という木賃宿は下田の北口をはいるとすぐだった。私は芸人たちの後から屋根裏のような二階へ通った。天井がなく、街道に向かった窓際に坐ると、屋根裏が頭につかえるのだった。
「肩は痛くないかい」と、おふくろは踊子に幾度も駄目を押していた。
「手は痛くないかい」
踊子は太鼓を打つ時の美しい手真似をしてみた。
「痛くない。打てるね、打てるね」
「まあよかったね」
私は太鼓を提げてみた。
「おや、重いんだな」
「それはあなたの思っているより重いわ。あなたのカバンより重いわ」と踊子が笑った。
芸人たちは同じ宿の人々と賑やかに挨拶を交していた。やはり芸人や香具師のような連中ばかりだった。下田の港はこんな渡り鳥の巣であるらしかった。踊子はちょこちょこ部屋へはいって来た宿の子供に銅貨をやっていた。私が甲州屋を出ようとすると、踊子が玄関に先回りしていて下駄を揃えてくれながら、
「活動につれていってくださいね」とまたひとり言のように呟いた。
無頼漢のような男に途中まで路を案内してもらって、私と栄吉とは前町長が主人だという宿屋へ行った。湯にはいって、栄吉と一緒に新しい魚の昼飯を食った。
「これで明日の法事に花でも買って供えてください」
そう言って僅かばかりの包み金を栄吉に持たせて帰した。私は明日の朝の船で東京に帰らなければならないのだった。旅費がもうなくなっているのだ。学校の都合があると言ったので芸人たちもしいて止めることはできなかった。
昼飯から三時間と経たないうちに夕飯をすませて、私は一人下田の北へ橋を渡った。下田富士に攀じ登って港を眺めた。帰りに甲州屋へ寄ってみると、芸人たちは鳥鍋で飯を食っているところだった。
「一口でも召しあがってくださいませんか。女が箸を入れて汚いけれども、笑い話の種になりますよ」と、おふくろは行李から茶碗と箸を出して、百合子に洗って来させた。
明日が赤ん坊の四十九日だから、せめてもう一日だけ出立を延ばしてくれ、またしても皆が言ったが、私は学校を楯に取って承知しなかった。おふくろは繰り返し言った。
「それじゃ冬休みには皆で船まで迎えに行きますよ。日を報せてくださいましね。お待ちしておりますよ。宿屋へなんぞいらしちゃ厭ですよ、船まで迎えに行きますよ」
部屋に千代子と百合子しかいなくなった時活動に誘うと、千代子は腹を抑えてみせて、
「体が悪いんですもの、あんなに歩くと弱ってしまって」と蒼い顔でぐったりしていた。百合子はかたくなってうつむいてしまった。踊子は階下で宿の子供と遊んでいた。私を見るとおふくろに縋りついて活動に行かせてくれとせがんでいたが、顔を失ったようにぼんやり私のところに戻って下駄を直してくれた。
「なんだって。一人で連れて行って貰ったらいいじゃないか」と栄吉が話し込んだけれども、おふくろが承知しないらしかった。なぜ一人ではいけないのか、私は実に不思議だった。玄関を出ようとすると踊子は犬の頭を撫でていた。私が言葉を掛けかねたほどによそよそしいふうだった。顔を上げて私を見る気力もなさそうだった。
私は一人で活動に行った。女弁士が豆ランプで説明を読んでいた。すぐに出て宿へ帰った。窓閾に肘を突いて、いつまでも夜の町を眺めていた。暗い町だった。遠くから絶えず微かに太鼓の音が聞こえて来るような気がした。わけもなく涙がぽたぽた落ちた。
七
出立の朝、七時に飯を食っていると、栄吉が道から私を呼んだ。黒紋付の羽織を着込んでいる。私を送るための礼装らしい。女たちの姿が見えない。私はすばやく寂しさを感じた。栄吉が部屋へ上がって来て言った。
「皆もお送りしたいのですが、昨夜おそく寝て起きられないので失礼させていただきました。冬はお待ちしているから是非と申しておりました」
町は秋の朝風が冷たかった。栄吉は途中で敷島四箱と柿とカオールという口中清涼剤とを買ってくれた。
「妹の名が薫ですから」と微かに笑いながら言った。
「船の中で蜜柑はよくありませんが、柿は船酔いにいいくらいですから食べられます」
「これをあげましょうか」
私は鳥打帽を脱いで栄吉の頭にかぶせてやった。そしてカバンの中から学校の制帽を出して皺を伸しながら、二人で笑った。
乗船場に近づくと、海際にうずくまっている踊子の姿が私の胸に飛び込んだ。傍に行くまで彼女はじっとしていた。黙って頭を下げた。昨夜のままの化粧が私をいっそう感情的にした。眦の紅が怒っているかのような顔に幼い凜々しさを与えていた。栄吉が言った。
「ほかの者も来るのか」
踊子は頭を振った。
「皆まだ寝ているのか」
踊子はうなずいた。
栄吉が船の切符とはしけ券とを買いに行った間に、私はいろいろ話しかけて見たが、踊子は掘割りが海に入るところをじっと見おろしたまま一言も言わなかった。私の言葉が終わらない先に、何度となくこくりこくりうなずいて見せるだけだった。
そこへ、
「お婆さん、この人がいいや」と、土方ふうの男が私に近づいて来た。
「学生さん、東京へ行きなさるだね。あなたを見込んで頼むだがね、この婆さんを東京へ連れてってくんねえか。可哀想な婆さんだ。倅が蓮台寺の銀山に働いていたんだがね、今度の流行性感冒てやつで倅も嫁も死んじまったんだ。こんな孫が三人も残っちまったんだ。どうにもしようがねえから、わしらが相談して国へ帰してやるところなんだ。国は水戸だがね、婆さん何もわからねえんだから、霊岸島へ着いたら、上野の駅へ行く電車に乗せてやってくんな。めんどうだろうがな、わしらが手を合わして頼みてえ。まあこの有様を見てやってくれりゃ、可哀想だと思いなさるだろう」
ぽかんと立っている婆さんの背には、乳呑児がくくりつけてあった。下が三つ上が五つくらいの二人の女の子が左右の手につかまっていた。汚い風呂敷包みから大きい握り飯と梅干とが見えていた。五、六人の鉱夫が婆さんをいたわっていた。私は婆さんの世話をこころよく引き受けた。
「頼みましたぞ」
「ありがてえ。わしらが水戸まで送らにゃならねえんだが、そうもできねえでな」なぞと鉱夫たちはそれぞれ私に挨拶した。
はしけはひどく揺れた。踊子はやはり唇をきっと閉じたまま一方を見つめていた。私が縄梯子につかまろうとして振り返った時、踊子はさようならを言おうとしたが、それもよして、もう一ぺんただうなずいて見せた。はしけが帰って行った。栄吉はさっき私がやったばかりの鳥打帽をしきりに振っていた。ずっと遠ざかってから踊子が白いものを振り始めた。
汽船が下田の海を出て伊豆半島の南端がうしろに消えて行くまで、私は欄干に凭れて沖の大島を一心に眺めていた。踊子に別れたのは遠い昔であるような気持だった。婆さんはどうしたかと船室を覗いてみると、もう人々が車座に取り囲んで、いろいろと慰めているらしかった。私は安心して、その隣の船室にはいった。相模灘は波が高かった。坐っていると、時々左右に倒れた。船員が小さい金だらいを配って回った。私はカバンを枕にして横たわった。頭が空っぽで時間というものを感じなかった。涙がぽろぽろカバンに流れた。頬が冷たいのでカバンを裏返しにしたほどだった。私の横に少年が寝ていた。河津の工場主の息子で入学準備に東京へ行くのだったから、一高の制帽をかぶっている私に好意を感じたらしかった。少し話してから彼は言った。
「何かご不幸でもおありになったのですか」
「いいえ、今人に別れて来たんです」
私は非常に素直に言った。泣いているのを見られても平気だった。私は何も考えていなかった。ただすがすがしい満足の中に静かに眠っているようだった。
海はいつのまに暮れたのかも知らずにいたが、網代や熱海には灯があった。肌が寒く腹が空いた。少年が竹の皮包みを開いてくれた。私はそれが人の物であることを忘れたかのように海苔巻のすしなぞを食った。そして少年の学生マントの中にもぐり込んだ。私はどんなに親切にされても、それをたいへん自然に受け入れられるような美しい空虚な気持だった。明日の朝早く婆さんを上野駅へ連れて行って水戸まで切符を買ってやるのも、しごくあたりまえのことだと思っていた。何もかもが一つに融け合って感じられた。
船室のランプが消えてしまった。船に積んだ生魚と潮の匂いが強くなった。まっ暗ななかで少年の体温に温りながら、私は涙を出まかせにしていた。頭が澄んだ水になってしまっていて、それがぽろぽろ零れ、その後には何も残らないような甘い快さだった。