「知らないっ」と、強く投げつけてそっぽを向いたものの、
「それはそうだけれど」
「なにしたらおしまいさ。味気ないよ。長続きしないだろう」
「そう。ほんとうにみんなそうだわ。私の生れは港なの。ここは温泉場でしょう」と、女は思いがけなく素直な調子で、
「お客はたいてい旅の人なんですもの。私なんかまだ子供ですけれど、いろんな人の話を聞いてみても、なんとなく好きで、その時は好きだとも言わなかった人の方が、いつまでもなつかしいのね。忘れられないのね。別れた後ってそうらしいわ。向うでも思い出して、手紙をくれたりするのは、たいていそういうんですわ」
女は窓から立ち上ると、今度は窓の下の畳に柔かく坐った。遠い日々を振り返るように見えながら、急に島村の身近に坐ったという顔になった。
女の声にあまり実感が溢れているので、島村は苦もなく女を騙したかと、かえってうしろめたいほどだった。
しかし彼は嘘を言ったわけではなかった。女はとにかく素人である。彼の女ほしさは、この女にそれを求めるまでもなく、罪のない手軽さですむことだった。彼女は清潔過ぎた。一目見た時から、これと彼女とは別にしていた。
それに彼は夏の避暑地を選び迷っている時だったので、この温泉村へ家族づれで来ようかと思った。そうすれば女はさいわい素人だから、細君にもいい遊び相手になってもらえて、退屈まぎれに踊の一つも習えるだろう。本気にそう考えていた。女に友情のようなものを感じたといっても、彼はその程度の浅瀬を渡っていたのだった。
むろんここにも島村の夕景色の鏡はあったであろう。今の身の上が曖昧な女の後腐れを嫌うばかりでなく、夕暮の汽車の窓ガラスに写る女の顔のように非現実的な見方をしていたのかもしれない。
彼の西洋舞踊趣味にしてもそうだった。島村は東京の下町育ちなので、子供の時から歌舞伎芝居になじんでいたが、学生の頃は好みが踊や所作事に片寄って来て、そうなると一通りのことを究めぬと気のすまないたちゆえ、古い記録を漁ったり、家元を訪ね歩いたりして、やがては日本踊の新人とも知り合い、研究や批評めいた文章まで書くようになった。そうして日本踊の伝統の眠りにも新しい試みのひとりよがりにも、当然なまなましい不満を覚えて、もうこの上は自分が実際運動のなかへ身を投じて行くほかないという気持にかりたてられ、日本踊の若手からも誘いかけられた時に、彼はふいと西洋舞踊に鞍替えしてしまった。日本踊は全く見ぬようになった。その代りに西洋舞踊の書物と写真を集め、ポスタアやプログラムのたぐいまで苦労して外国から手に入れた。異国と未知とへの好奇心ばかりでは決してなかった。ここに新しく見つけた喜びは、目のあたり西洋人の踊を見ることが出来ないというところにあった。その証拠に島村は日本人の西洋舞踊は見向きもしないのだった。西洋の印刷物を頼りに西洋舞踊について書くほど安楽なことはなかった。見ない舞踊などこの世ならぬ話である。これほど机上の空論はなく、天国の詩である。研究とは名づけても勝手気儘な想像で、舞踊家の生きた肉体が踊る芸術を鑑賞するのではなく、西洋の言葉や写真から浮ぶ彼自身の空想が踊る幻影を鑑賞しているのだった。見ぬ恋にあこがれるようなものである。しかも、時々西洋舞踊の紹介など書くので文筆家の端くれに数えられ、それを自ら冷笑しながら職業のない彼の心休めとなることもあるのだった。
そういう彼の日本踊などの話が、女を彼に親しませる助けとなったのは、その知識が久しぶりで現実に役立ったともいうべきありさまだったけれども、やはり島村は知らず識らずのうちに、女を西洋舞踊扱いにしていたのかもしれない。
だから自分の淡い旅愁じみた言葉が、女の生活の急所に触れたらしいのを見ると、女を騙したかとうしろめたいぐらいだったが、
「そうしておけば、今度僕が家族を連れて来たって、君と気持よく遊べるさ」
「ええ、そのことはもうよく分りましたわ」と、女は声を沈めて微笑むと、少し芸者風にはしゃいで、
「私もそんなのが大好き、あっさりしたのが長続きするわ」
「だから呼んでくれよ」
「今?」
「うん」
「驚きますわ。こんな真昼間になんにもおっしゃれないでしょう?」
「屑が残るといやだよ」
「あんたそんなこと言うの、この土地を荒稼ぎの温泉場と考えちがいしてらっしゃるのよ。村の様子を見ただけでも分らないかしら」と、女はいかにも心外らしく真剣な口ぶりで、ここにはそういう女のいないことを繰り返して力説した。島村が疑うと、女はむきになって、しかし一歩譲って、それはどうしようと芸者の勝手だけれども、ただ、うちへことわらずに泊れば芸者の責任で、どうなろうとかまってはくれないが、うちへことわっとけば抱主の責任で、どこまでも後を見てくれる、それだけのちがいだと言う。
「責任てなんだ」
「子供が出来たり、体が悪くなったりすることですわ」
島村は自分の頓馬な質問に苦笑いしながら、そのようにのんきな話も、この村にはあるかも知れないと思った。
無為徒食の彼は自然と保護色を求める心があってか、旅先の土地の人気には本能的に敏感だが、山から下りて来るとすぐこの里のいかにもつましい眺めのうちに、のどかなものを受け取って、宿で聞いてみると、果してこの雪国でも最も暮しの楽な村の一つだとのことだった。つい近年鉄道の通じるまでは、主に農家の人々の湯治場だったという。芸者のいる家は料理屋とかしるこ屋とか色褪せた暖簾をかけているが、古風な障子のすすけたのを見ると、これで客があるのやら、そして日用雑貨の店や駄菓子屋にも、抱えをたった一人置いているのがあって、その主人達は店のほかに田畑で働くらしかった。師匠の家の娘だからではあろうが、鑑札のない娘がたまに宴会などの手伝いに出ても、咎め立てる芸者がないのだろう。
「それでどれくらいいるの」
「芸者さん? 十二、三人かしら」
「なんていう人がいいの?」と、島村が立ち上ってベルを押すと、
「私は帰りますわね?」
「君が帰っちゃ駄目だよ」
「厭なの」と、女は屈辱を振り払うように、
「帰りますわ。いいのよ、なんとも思やしませんわ。また来ますわ」
しかし女中を見ると、なにげなく坐り直した。女中が誰を呼ぼうかと幾度聞いても、女は名指しをしなかった。
ところが間もなく来た十七、八の芸者を一目見るなり、島村の山から里へ来た時の女ほしさは味気なく消えてしまった。肌の底黒い腕がまだ骨張っていて、どこか初々しく人がよさそうだから、つとめて興醒めた顔をすまいと芸者の方を向いていたが、実は彼女のうしろの窓の新緑の山々が目についてならなかった。ものを言うのも気だるくなった。いかにも山里の芸者だった。島村がむっつりしているので、女は気をきかせたつもりらしく黙って立ち上って行ってしまうと、いっそう座が白けて、それでももう一時間くらいは経っただろうから、なんとか芸者を帰す工夫はないかと考えるうちに、電報為替の来ていたことを思い出したので郵便局の時間にかこつけて、芸者といっしょに部屋を出た。